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西邑 由記子さん

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流れに逆らわず、状況を受けとめる… しなやかな強さをもつ 荒木 由美子さん

介護をしている家族の決断、
それが一番に尊重されるべきだと思います

 「実際の芸能生活は約7年間。短いようですけれど、テレビに露出する量が今とは違ったみたいですね。毎日見ない日がないという感じだったのだと思います。引退直後に母親になることと介護することが同時に始まって、何がなんだか…という20年でしたから、私が思っている以上に皆さんが覚えて下さっていることに大変驚いています」
 思えば、結婚2週間後に義母が倒れたため、病院通いが結婚生活のスタートだったという荒木さん。子供を授かって母親になる前後ぐらいだけが20数年の結婚生活の中で穏やかに生活できた期間だったと振り返ります。
 「今でこそ“認知症”として周りの理解も得られますけれど、20年前は知りようのないことだらけ。“まだらぼけ”なんて言い方をしますけれど、当時は呆けるということは、ある日激変するものだと思っていたんです。ですから、月に1回、『おかしいな』と思うことがあっても勘違いだろうということで通り過ぎていって…。それが月に2回3回から週に1回ぐらい、そのうち一昨日も昨日も…と、3〜4年の間に狭まっていったんですよ。それでも、歳をとっていくというのはこういうことなのかなと思って、これがボケなのだとは思えない。歳を重ねていくことを私たちが明るく受け入れてあげることが家族なのだと思っていましたからね。

 それに、私の母がまだ50歳過ぎぐらいでしたから、友達に相談したくても同じ状況の人なんていませんでしたし、心配させたくないから母には相談できませんでした。私の精神的な余裕の無さが、歪んで見せているのかしら? と自分を責めることもありました。もっと大人としての経験があれば、義母に対しても別の言い方ができたかもしれない…などと。
 誰もが『呆けているのかも』と思いながら、口に出せないんですよ。夫も最初は『歳のせいだろう』と言っていましたし。ましてや自分の親ではなく姑ですから、嫁の立場では『呆けてる』なんて言えませんでした。そういう孤独な戦いの時期が3年ぐらいあったでしょうか…」

家族内の中途半端な優しさは、 かえってマイナス

 「介護を手伝ってもらうにしても、出来るときと出来ないときの波があると、こちらはイライラしてしまう。中途半端な優しさって、お互いにマイナスになってしまうんですね。だから、それは私も求めない。そのかわり私の話を聞いてもらうようにしていました」
 ご主人と13歳という歳の差があるお陰で、普段から素直に甘えられるという荒木さん。徐々に態度がきつくなる義母との日々、それを受け入れられない息子とはギクシャクした関係に陥るなど、抱えきれない感情に押しつぶされそうになることもしばしば。ご主人には良い顔を出来ても、子どもには感情をぶちまけてしまったこともあり、当時は素直に謝れなかったそうです。それでも何とか乗り越えられたのは、聞く耳を持つご主人の「偉いね、本当によくやってるよ」という言葉のご褒美が、何よりの支えになったと言います。とはいえ、話を切り出しやすい状況を作る努力はしたそう。

夫の決断で進めた 「人の手を借りる」という道

 「本のプロローグに、湯原(ご主人)が親の首に手をかけるというシーンがありますが、もうね、本当に地獄の戦いをしましたね、後半の3年間は。そんな中で私自身も生死に関わる病いを宣告をされたこともあって…。いろんなことが重なり合って押し寄せてきました。どうにもならないということが本当にあるんですね。私たち夫婦はお義母さんのことで会話もするし、明るいし、息子も交えて家族が大好き。ですから、私たちに限って…という思いはありました。それでも本当にお通夜のような毎日になりましたからね」
 47年間の中で、あんなに悲しくて苦しかったことはなかった、と荒木さんは振り返ります。
 「介護というのはその本人を支えるだけではなく、介護している側の家族機能も保っていかなければいけないわけですよね。夫婦間、親子間、子ども家族もあるわけです。それを保ちつつ、介護される側との精神的なバランスを保つには限度がある。私としては在宅介護で終えなければいけないという、嫁としての責任を背負っていたので正直きつかったです。男性が手を貸して協力することも必要だけれど、最終的な決断を男の人がしてくれることが最大の支えだと思うんです。そこに女性の役割、男性の役割をはっきり感じました。

 我が家の場合は夫が、『もう在宅で出来ることは全部やってきた。このままでは俺たちもダメになる、だから施設を探そう。誰かの手を借りよう』と言ってくれたんです。この一言に救われました。施設に入ることは、全部を任せるということではないんですよね。家族は当然通うわけですから。放棄するというのではなくて、誰かの手を借りるという選択です。
 でも、介護に携わっていない人は、施設に預けて楽になるだろうと思うんでしょうね。でも違う戦いが始まっているんですよ。これで良かったのだろうか…、私が弱かったからこんなことになったのだろうか…、という葛藤が。介護している家族が、この辺で人の手を借りようと思った決断で、全部マルだと思いますよ。親戚や兄弟から批判的なことを言われても、介護しているのはその家族ですから、きっとその決断で正解なんです」
 7年間葛藤した末の決断。施設にお願いしたことで良かったことがたくさんあったそうです。
 「月に一度の家族会があることも知りましたし、そこで他の家族の方々との意見の交換ができる。また外部の人たちとの交流もあって、そんなときに、人の手を借りることは負い目にはならないということを知っていただけることもあって、少し役に立てたかなと思えることもありました。何より、仲間がいるということは支えでしたね。皆さんと関わることで、本人も私たちもとてもいいクッションができて、気持ちがいくらか穏やかになったと思います」

一つずつ現実を受け止めながら、 一日、また一日と進む幸せ

 仕事復帰のことは考えたことがなかった、と言う荒木さん。
 「義母が亡くなったあとは、燃え尽き症候群のようになってしまっていました。朝目覚めて、いかに一日が義母の介護で始まっていたかということを思い知らされたんです。子どもは息子で成人していますから、面と向かって取り立てて話すこともない。夫は相変わらず仕事が忙しい。私って20年頑張ってきたけれど、何か形に残っているのかしら、という想いが湧いてきたり…。
 主婦って点数がないんですよね。お給料をもらえるわけでもないですから。子育てや介護の日々が終わった後に目標をなくすということを、身をもって理解しました。
 『よくやった偉かった! これからは自分の好きなことをやればいい』と夫は言ってくれるんですけど、なんだか目標がないと進めないというのがあって。でも、ライトを浴びるような世界は自信がない。そうして選択したのが本の執筆でした」

流れに逆らわなかった20年 義母の最期の言葉が御守り

 「全てが想定外なので、今後についても何も構えていないんです。結婚のときも、介護のときもそうでした(笑)。今は、一日一日、仕事で喜んでいただけることからプランが膨らんでいっています。私自身の目標も実はそんなに大きいものはないけれど、周りの皆が大きくしてくれるんですよね。こうなりたい、あぁなりたいというのは夫婦間にも無いんですよ。いま元気ですし、仲が良いし、今日も一日最高だったね、と言えることで十分」
 その目は、しっかりと前を見つめていらっしゃいました。
 「人生は分からないですね。喜びも哀しみも両方あるんですね。それは人それぞれでしょうけれど。思えば、何一つ流れに逆らったことがないんですよね。全部、流れに乗ってきたことが今の開放感ですよね。義母が亡くなる前の日に、『本当にありがとう。こんな私をみてくれてありがとう。由美ちゃんに、もう悪いことは一つもないから』と言って亡くなったんです。それがもう全て。お守りです。ですから、朝は欠かさずしっかりと手を合わせています。その最期の言葉を信じて、疑ったことはないです。今、お仕事をしていることも義母のご褒美だと思えます(笑)。あの本は、誰もがやっている普通の介護なんですよね。それでも公演には、コンサートをやっていたときより多くのお客さんが来てくれて、本も買って頂けて(笑)。私たちはたまたまメッセージを送れる立場にあるだけ。それで、多くの方に訪ねて頂けるのですから、本当に信じられないんですよ。
 主人と一緒になったのは、彼がすごく好きになってくれたからだと思っていましたが、今は、お母さんに『お嫁さんに来い、来い』引っ張られたような…。その縁だったのかなと思えてきました(笑)」
 「今が一番精神的にいい状態」と満面の笑みで話す荒木さん。ご主人に見守られて活動を続ける中、「もう少し荒木由美子という人を大事に扱ってあげていいんじゃないかな」と思えてきたそうです。
 「人間ってやっぱりプラスマイナスゼロなんですよ。周りで同世代の子が自由に過ごしていた20〜30代の頃に、『これをやらないと次が無いんだ』と介護することを受け入れたし、逃げようとも思いませんでした。まさか20年にも及ぶとは思わなかったですけれど(笑)。それでも、しっかりと受け止めていた結果、今の幸せがあるのだと思っています」と、素敵な笑顔で締めくくって下さいました。

荒木由美子(あらき・ゆみこ) 女優・タレント

profile
1960年、佐賀県生まれ。1976年『第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン』にて審査員特別賞を受賞。翌1977年、『渚でクロス』で歌手としてデビュー。その後、テレビドラマ『燃えろアタック』で主役の小鹿ジュンを演じ人気を集める。1983年に13歳年上で歌手・タレントの湯原昌幸と結婚し引退。その2週間後に義母が倒れ、その後認知症を患うことに。長男の出産・育児、介護のため、長年芸能活動を休止していたが、2003年義母を看取り、『覚悟の介護 - 介護20年 愛と感動の家族物語』(ぶんか社)で2004年に復帰。テレビ、ラジオ出演の他、介護体験の講演など幅広く活動。2007年5月30日、夫の湯原とのデュエット曲『千年の旅人』(湯原のミニアルバム『途中駅〜Never Ending Life〜』の収録曲)を発表、27年ぶりに歌手活動を再開させる。

 
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