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誰もやっていないことに挑戦。豊かな思いや考えを形にしてパワフルに活動する 萩本 欽一さん


 コメディアン、役者、司会者、そして野球監督と、様々な顔を持っている萩本欽一さんは「失敗のあとには大成功がある」と言います。独創的な発想とそれを実現する行動力、パワーが日々の活力となり、気持ちの持ち方一つで毎日を楽しくすることを教えてもらいました。

 芸能界に限定せず、誰もやっていない面白いことを探し続けてきた、萩本欽一さん。そんな「欽ちゃん流」のライフスタイルや、人との接し方、さらにはその根本にある想いを探ります。

幅広い活躍を続ける萩本さん。様々な仕事をする中では、
ご苦労も多かったのではないでしょうか?

 いや、僕は苦労したと思ったことは一度もないね。家は貧乏だったけど、それを辛いとは受け止めていないよ。
 酷い目にあったら間違いなく、その一歩先には大きな喜びがある。失敗のあとには大成功があるの。僕が撮影中に19回もNGを出して「二度とTV局に来るな」と言われて浅草に戻ったときは、(坂上)二郎さんから電話をもらってコンビを組んだ。その1年後にはコント55号として「テレビに出てくれ」としきりに頼まれた。野球チームで問題が起きて「もうこれで終わりか」と思ったときも、皆さんからの声援で復活できて、結果、お客さんが2〜3割アップしたの。つまり、僕にとっての不幸は「100円が落ちていること」なんだよね。100円を拾うことで僕の場合は「しまった!たった100円で運を使って、大きな運を掴み損ねた!」と思う。あえて「大成功のあとに辛いことが来るぞ」と思うことで、人生が面白くなる。大変なことがあったときこそ「しめた!」って考えられるようになるのよ。

 テレビを一度休業したときもそう。16年しか貧乏してないから、有名になってちょうど16年たって「あぁ、これでチャラだよな」とね。これ以上がっついてテレビ活動を続けたら神様にバチが当たると思ってね。辛い思いをしないと次のいい運も来ないから区切りをつけた。それで今度は若いやつの運に乗っかろうと思って、欽ちゃん劇団をつくったの。タレントを育てて有名人も生まれたけど、僕自身は運に乗り損なっちゃった(笑)。よく、若い人と話せば自分も若くなると言われるからやってみたけど逆だったね。だから、今度は自分よりうんとお年寄りの人と話したい。お年寄りの方が元気だよ。言葉で遠慮しても、行動力がある。そういう人は一生懸命やるよ。いつか、60〜80歳くらいの人を集めて「欽じじ劇団」とか作りたいなぁ。

精力的に活動を続けるなか、健康に気を
つけていることはありますか?

 ある人のお葬式に行ったら、奥さんも子供も笑ってるんだよ。聞けば、亡くなった瞬間「お父さん、ありがとね」って、おでこをトンって叩いたんだって。心残りなく、100%幸せを与えられると人は笑うんだなと思ったね。いいお葬式だった。
 僕も亡くなったときにはプッと吹き出したり、笑ってくれると幸せ。そのために今、不摂生してるの(笑)。自分は人の3倍元気だと思ってるから、ちょっと体を痛めておいた方がいいかなと。夜更かしして、煙草の本数も増やして、病気になったら「やっぱりね」って納得したい。悔しい顔をして亡くなるのは嫌だね。
 そんな生活だから、あまり歳は感じないんだけど、階段を上るときと鏡を見たときは気づいちゃう。ただ、気持ちがそのままだから、僕のライフスタイルは今も昔も変わらないよ。変わったことと言えば、健康的なことをしなくなったことかな。「健康にいいからゴルフしよう」の一言で僕はゴルフを止めた。健康的なことをして健康なのは当たり前。それをしないで元気でいることこそ丈夫って言えると思うんだよね。

 病院には3カ月に1回くらい、咳が出た、お腹が痛いと言って行くけれど、いつも「何ともないです」と言われちゃう。特技は「胃カメラ飲み」と書けるぐらい、暇さえあれば検査しているんだけど、やっぱり異常なし。この間も検査に行ったんだけど「必要ない」って言われちゃった。残念(笑)。

お母様もご健在ですよね?

 今、99歳なんだけどね。80歳過ぎまでは、母ちゃんから毎週電話がかかって来たのに、ある日を境にかかってこなくなったの。どうやら、耳が遠くなったことを気づかれたくなかったみたい。90歳過ぎてからは、僕に会いたいと思うと入院して「死んじゃう死んじゃう」って言うの。僕が一番に病院に飛んで行くと「ほぅら、来た来た。じゃあ退院しようか」ってね(笑)。そんな母だけど、会話をしていると少しボケてきたかなって思うの。気をつけて話そうと思うけど難しいよね。僕にとって99歳の人と付き合うのは初めての体験だから。99歳の人に「元気?」と聞くのもおかしいじゃない?あと、耳が聞こえないまま会話をしてると、話がずれることも多いんだけど「違う」とは言わないようにしているんだ。
 そうやってきて、ある日ふと気づいたの。90歳過ぎたら言葉はいらない…とね。手をずっと握っているだけでいい。手から言葉が伝わってきて、体温で会話ができる。無理して話さなくても、その方がずっと心地いいね。

お母様とは心の対話をなさっている萩本さんですが、脳梗塞で倒れ、リハビリ中の坂上二郎さんには
「車椅子でもいいから舞台に出てもらう」と声をかけたそうですね?

 僕にとって車椅子の人は病人じゃないの。車椅子を使うことで普通の人になっている訳だからね。あとね、二郎さんに会って「元気になったら食事をしましょう」って声をかけるのは間違いだと気づいたの。「元気なんだから飯食いに行こう」って言わないと。退院してからじゃダメ。「明日行く?無理ならじゃあ明後日にしようね」と目標を決めるのが大切。実際、二郎さんのことは、誰も病人扱いしてなかったよ。「元気としか思えない」って態度でいたね。

結果、滞りなく舞台を務めました。

 千秋楽に二郎さんが「お客さんが治してくれた」と言っていたのはまさにそうだと思うね。お客さんからの拍手を聞くと、無理してでもやるでしょ?だんだん病人だって気づかなくなって、そのうち本当に治っちゃった。逆に、老いも病気も、心の鏡が気づいてしまうと本当にそうなっちゃうんだよね。

その坂上さんと来年の明治座公演「仇討物語・でんでん虫」
で共演しますね。

 実は、二郎さんの年齢を察して、舞台から始まったコント55号の「フィナーレ」にするつもりで前々回の舞台をやったの。そしたら二郎さんが病気しちゃったんで「あの野郎を舞台に出すぞ」って頑張っちゃった(笑)。でも、今回の公演は2月だから大変なのよ。球団にとっては通常キャンプ時期。今年は舞台とかぶるから、野球の方は元旦から宮崎キャンプ。新しいでしょ?(笑) それでも舞台をやるのは、僕自身が「欽ちゃん」はコメディアンだぞという確認をとるため。やらないとコメディアンだって忘れちゃうからね。
 次の舞台は「トコトン笑い」で行こうと思ってる。いつも真面目な役をやる(佐藤)B作さんまで笑いをとるから、ほとんど笑いっぱなしになるんじゃないかな。普通は2枚目俳優がいることで、笑いだけではなくて、その人が生きるような芝居も考えるでしょ。今回は2枚目が山口良一だから、それだけで笑えちゃうよ。

 僕の場合は出演者に当てはめて脚本を書いていく。ドラマのようにエキストラは使いたくない。全員に意味を持たせていると芝居が長くなっちゃって、主役が埋もれる。そういう芝居が僕は好きなの。顔も知らないやつが出てきていきなりギャグぶっぱなすから、安心して観てると危ないよ(笑)。人数を少なくして、できるだけみんなが活躍できるようにしたいね。

萩本さんの活躍はまだまだ続きそうですね。

 以前何本も番組をやっていたとき「寝てるんですか? 大変ですね」とよく言われたけど、実は、仕事が忙しいときこそ楽なのよ。「この局でボツになったネタは別の局で使おう」とか、考えたことを余すことなく使える。一つしかやってないと、考えた物が駄目なとき捨てないといけないでしょう?
 今だってそう。うちの野球は試合後(トークやインタビュー、サインをする時間)の方が長いけど、それは試合という「物語」にエンディングをつけようと思うから。野球に芝居の考えを持ち込むことで、斬新で新しいものが生まれる。発明には新しい発想が必要なんだね。野球をやるから芝居が面白くなって、芝居をやるから野球が面白くなる。だから、いくつものことをやってみた方がいいんじゃないかな。
 僕は新しいこと、誰もやっていないことを探してここまでやってきた。それは何年たっても変わらない。芸能界に面白いことがなくて、何かないかなと思ったら野球があった。これからも、何か見つけたら飛んでっちゃうよ。

守りに入ることなく行動を起こすことで新たなジャンルを開拓してきた萩本さん。笑いを生み出す場所は
TVや舞台、野球というフィールドに飽きたらず、これからも広がり続けそうです。


萩本欽一(はぎもと・きんいち)

profile
1941年、東京都台東区に生まれる。下積み時代を経て1966年、坂上二郎と「コント55号」を結成。多くのレギュラー番組を抱え一躍人気者になる。コンビ解消後は、「欽ちゃんのどこまでやるの」「欽ドン良い子悪い子普通の子」「欽ちゃんの週刊欽曜日」などの高視聴率番組を数多く手がけ「視聴率100%男」という異名を持つ。休養宣言を経て、1991年に欽ちゃん劇団を結成。現在は、長寿番組「欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞」の司会や、野球クラブチーム・茨城ゴールデンゴールズの監督と、様々な分野で活躍している。来年2月2日〜25日、明治座でコント55号 40周年プラス1「仇討物語・でんでん虫」を公演。電話予約1月7日午前10時より 詳細は明治座チケットセンター TEL03(3660)3900
http://www.meijiza.co.jp

 
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