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不在中にかぎって
人の手が必要になる現実
病院とは離れられない身体状況。仕事との両立は困難に思えるが、「当初はまだまったく歩けないわけではなかったので、目が離せないという状況ではありませんでした。舞台で家を1カ月空けることもありましたし、撮影で地方に行くこともありました。知らないうちに、母はご近所の方と交流を広げていたようで、その方々に協力して頂けましたから、私の生活に大きな変化はなかったんですよ」。
しかし、不安が無いわけではない。長期不在のときに限って救急沙汰になることもしばしば。あるときは、地方での公演直前に携帯電話が鳴り、母からのSOSを察した大沢さんは、都内の救急センターに連絡をとりながら大事を乗り越えたという。
「あの遠隔操作は我ながら“凄いことが出来た”と思いました」。
舞台が始まる前に、こんな大仕事をやってのける度胸に驚かされる。しかし、それは単なる度胸ではなく、日頃の準備や配慮のたまもののようなのだ。
多くの病気をもつ母親が誰のお世話になるか分からない。そのときに備えて、人の目につく場所に貼っていた母についての注意書きを書いた紙が、不測の事態に役立っていたのだ。
母は私が看るしかない!?
東京に移り住む際、検査入院したが、その印象が悪かったことで母親はその後も入院を嫌う。介護保険制度の施行以前は、通院の付き添いや不在中の身の回りの補助を家政婦に頼んでいたが、視聴覚の不自由さを理解して対応してくれる人に巡り会えず、何度か試してみたが断念。施行後、さっそくヘルパーにお願いしたものの、家政婦を依頼した頃の不信感を払拭できなかったという。
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 ひょんなところから、母が書き残した日記のような手紙が現れる。そのたびに母を近くに感じる大沢さん。いずれも「ありがとう」という感謝の言葉が…。 |